宗教について
けっこう前の話ですが、ノートルダム大聖堂が焼損してしまいましたね…
(本当は話題がホットな頃に書いたまま下書き行きだった)
焼けていく大聖堂を見つめながら聖歌を歌う人々の姿
今回の件でも改めて感じたけど、宗教ってそれを信仰する人たちにとってすごく大きいものなんですよね。
私もイギリスでたくさん目の当たりにすることとなった宗教について今日は書こうかなと。
以前もちらっと触れたことがありますが、私はイギリスへ留学していた時にカフェでボランティアをしていました。
そして、そのカフェは教会の中にありました
作ってもらったフローズンカフェオレを飲みながら仕事。
ここにいたお陰でレジ打ちを英語でできるようになったのと、ポンド札と硬貨の計算がだいぶ速くなった
教会ってずらりと椅子が並んでいて、奥には牧師のための聖書台が置かれてるイメージですよね。そしてその後ろにはステンドグラス。
しかし面白いことに、蓋を開けてみると教会はお祈りの場以外にも色んな用途で使われています。
確かコッツウォルズに近いチェルトナムでは、ひろーい教会をふんだんに使用してイタリアンレストランをやっていました。
私のいた街でも、カフェのほか蚤の市をやっていたり…
そしてカフェで働いていて気づいたのは
「教会がひとつのコミュニティである」ということ。
仲の良いクリスチャンの友達が、深い友達ってなかなかできるものじゃないけど教会ではそういう人と知り合えることが多いんだよと言っていたり
カフェで仲の良かった30代の人が、私の学校での友達(まだ10代)と実は教会が一緒で知り合いだったり。
教会は同じ信仰を持つ人たちが集まり、考えを共有する場であることを思えば、確かに深い関わりが生まれるのも自然なことなのかなと。
そういう、いわば心の拠り所が身近にあって深い部分で繋がれる人とも出会えるなんて、すごく素敵なことだな。羨ましいなと感じるようになりました
ある時、カフェで働いていた他のスタッフに
「私たち無信仰の人にとって、教会はただ美しい内装や外観を持つ建物でしかないんだよね。だから観光地でわけもわからず写真を撮るのが時々申し訳なく感じる…」
と以前から思っていたことを明かしてみたところ、
「そういう罪悪感さえも神は許してくれるのよ。だから大丈夫」
と彼女は言ってくれました。
なんだか、私にはまったくもってない考え方というか…この人たちは神の許しや受け入れと共に人生を生きているんだな。そういった人生はまったく違うものなんだろうなと感心しました。
また、ローマに母の友人で牧師を務めている知り合いがおり、バチカンにあるサン・ピエトロ大聖堂(カトリック教会の総本山)に一緒に行った時のこと
中に飾られている絵を見ながらこれはキリストのこういうシーンを反映しているんだろうなど、色々解説してくれました。
ただ絵画を眺めるしかなかった私からすれば、そうやって思考を巡らしながら鑑賞することができるのは羨ましくもありました
(現代美術が好きなので、ロンドンのテート・モダンはけっこう楽しめたんですけどね…いわゆる絵画への嗜好はまだまだ…)
以前LGBTについての記事を書いた時にキリスト教の考えにも少し触れましたが、解釈によって考え方が異なるのも宗教の面白さであり、まさに信仰の自由なのかもしれないですね。
このように、宗教は知れば知るほど奥が深いこと、日常生活に信仰を取り入れることの意義の大きさなど、イギリスにいる間に学ぶことが非常に多くありました。
たぶん留学経験のうちで占める比重も大きい。
ボランティアした場所がたまたま教会で本当によかったと思います。まさに異文化体験でした。
日本では敬遠されがち、馴染みのない宗教ですが、留学など海外に滞在する機会があればぜひ興味を持ってみてほしいです。