BLMを巡るデモを受けて考える私たちの人種観や行動
ご無沙汰しております。晴れて社会人となりましたが、数ヶ月間は在宅での研修が続き、現在は晴れて週5日出勤となっております。極端…
近いうちに社会人になってからのこととか振り返れるといいな。
さて、今回は最近話題の人種差別について思うことがあり文字に起こしたくて書いています。
タイトルのBLMとは"Black Lives Matter"のこと。「黒人の命は大切だ」として現在全米、そして全世界に広まっている人種差別解消運動を指します。
人種平等のために訴え続ける市民。平和的な運動と称しているものの、一部では暴力や怪我・物の損壊に繋がってしまっている事例があることも事実です。
中でも高齢白人男性のデモ参加者に対し、警察が突き飛ばして動かなくなった動画は私もかなり衝撃を受けました。
倒れて動かない男性を気にかける警察もいる一方、それを制止する警察もいる。
単なる抗議者と警察の対立にはとどまらない、根深い問題がそこにはあるのだなと感じます。
そんな中、インスタである投稿を見かけました。
多様性促進のためにポール・スミスがモデルやスタッフの採用過程を見直す、カメラの裏側を代表して表しているともいえる"写真"をすべて評価し直すといった内容です。
すごく面白いなと思いました。
少なくともインスタを見ている限りではポール・スミスは様々な人種をモデルに採用しているし、商品デザインも日本の鯛焼きをモチーフにしているものがあったりとかなり個性的です。
それでもなお人種平等や多様性を追い続ける今回の改定。
そこには単に彼らの価値観だけにとどまらず、それを“発信することがステータスになる”といったような風潮、流行のようなものなのではないかとも思うのです。
一方で、日本人を考えてみると
私たちは思うことがあってもそれをなかなか表に出そうとしない。それが政治的な事柄や社会問題であればあるほど。
だからデモもほとんど起きない。
それは日本人の悪いところだと劣等感があったけど、案外そんなこともないのかなと今回の一連の件でより一層思うようになりました。
そもそも人種に限定して言えば、日本は世界でも稀なほぼ単一民族で構成されています。
見た目も似ていて、髪や目の色も基本は黒。島国の影響か混血もあまりなく、人と違う、ということを感じにくい人種なのかもしれません。
アメリカは「人種のるつぼ」という言葉があるように、非常に複雑なバックグラウンドを抱えているといえます。それは留学していたイギリスでもそうでした。
このように考えると、抱える問題意識の程度に差が出てくるのも納得だし、国民性の違いも大いに起因してきていることがわかります。
マスクの着用義務が自由を侵害しているなんて考えたこともないです。確かに本当なら全然つけたくないし、しかも今年の猛暑の中でなんて地獄だった。それでも感染の拡大を防止するため、マスクの着用を通じて互いに協力し合っている。
そもそも風邪や感染症が流行りやすい時期にマスクを着ける、また自分がなった際に他人に移さないよう着ける、というのはこれまでもごく自然に行われてきたことで、そこには日本人の相手に対する思いやりや自分を守るという価値観が働いていると感じます。
あまりにも自然にやってきたために目立っていないだけで、もしかしたら国外の人からすれば感心されることなのかもしれない。そう考えると、日本には日本の尊重されるべき行動や考え方があるのではないかと思います。
一方外に目を向けてみると、感染拡大なんて二の次で人が密集して抗議を行っている。デモが過激化するのも最近は日常茶飯事で、もはや目的が異なっているのではないかと感じるような行動まで見受けられる。
運動に参加することに重きが置かれるのは当然のことだけど、かえって危険にさらされる人が増えることはあってはならない、とキング牧師の考えに倣うと思ったり。正論は主張するべきだけど、武器として振りかざしては不本意な結果を招きかねない。
大事なのは、行動の先だと思う。そして追い続けること。
話が逸れてきた気しかしないけど、人種観をはじめある価値観に対する行動っていうのは国や地域によって全然違うんだろうなと思います。
どれがいい、悪いと一概に決めつけるのではなく、切り口を変えてひとつの物事を見ると考えが広がるんだろうな。世界で色んなことが起こっている今だからこそ、記事にしてみました。