映画レビュー:誰にでもある見えない一面
初めて細田作品を観た。
そもそもディズニーとジブリ以外のアニメ作品を観ること自体、本当に珍しいかも。
竜とそばかすの姫
気になったのは仮想空間という現代らしい舞台と、歌がテーマになっていたこと。
Dear Evan HansenもSNSをテーマに人の孤独を描いており、非常に共感を覚えた。
賛否両論あるらしいというのも気になった理由のひとつかも。
結論、とても気に入りました。
映像の美しさ、音楽の美しさ、物語の美しさ…
色んな美しさが凝縮されていた作品だったと思う。
私も歌うのが好きだけど、カラオケとか曲と合わせて歌おうとすると喉がぎゅっと詰まった感じになって声が思うように出なくて。あ、全然上手くない。ってなる
でも、ただ自分のペースにしたがって歌うときはすごく声が出る。気持ちがいい。ちょっと上手いかもって思える。
だから鈴が鈴である時にカラオケを拒み、歌おうとしてみても音が取れず、苦しくて川に向かって吐いていたシーンはすごくわかるものがあった。
そこからBelleとして歌う時は声も表情もすごく豊かで自由になった感じがあって、その気持ちよさがこちらにも伝わってきた。
自由に歌える楽しさ、自分でない自分でいられる時の高揚感。
みんな、自分でない誰かになりたいと思う時があると思う。
でも、「自分でない誰か」ばかりが受け入れられるにつれて
本当の自分を出すことが怖くなる。
本当はこんな普通なのに、こんなちっぽけなのに。
昔Twitterのフォロワー数が万単位の方にお会いした時、「見ている人が増えるほど色んなことを発信するのが怖くなる」といったことを話していたのを覚えている。鈴はまさにこれだと思った。
なりたい自分というのは他者から認められる、称賛されることが主だと思う。いわゆる承認欲求から生まれる理想像ともいうべきか。
そして、大抵はその他者に支持される人物像=真の自分ではない。ここの矛盾に悩む人はとても多いはず。
私もまさにそうで、たぶん接する人やコミュニティによって自分の見せる部分を変えている。全部を見せている人って恐らくほとんどいない。自分の大事にしているもの、価値観をあまり公にしないタイプだから家でたんまりと自分の世界に浸ることが多いかも。
それでも自分の持っている世界、本当の自分を少しでも周りに見せたいと思っている。
鈴は物語の最後、創造の世界で作り上げたBelleとしてではなく、鈴としてのありのままの姿で助けたい人に呼びかける。その勇気、鈴=Belleとして自我が重なった時、美しい歌声と音楽でラストスパートを一気にかけられた。ありのままの鈴がUの世界でも通用し、ASに、そしてオリジンの人たちに届いたからあの合唱シーンが生まれたんだと思う。
共感を生み、人とわかちあえた上でのあの合唱はすごくすごく美しくて感動した。
ところで劇中に出てくる鯨は何の役割を果たしているんだろう…52ヘルツのクジラたちを読んだ後だからか気になる。鯨ってメッセージ性があって好き。
あの音楽を聴きたくて、また違う視点で見たくて、また観に行きたいなと思った。
素敵な作品でした。